菊池史子滞在制作日誌|6月4日(日)

奥鹿島分校があった白金地区についてリサーチをする。
この小学校は鹿島東小学校の分校で鹿島地区から白金橋という橋を越えた奥にあった。
全体の児童数が少ないので卒業生を探すことが難しい。
市内にいたとしても私は本人が記録されることを望まない場合はたとえその人が夕張市内に残る最後の一人の卒業生だったとしても撮影を強制的に行うことはしないようにしている。
それはメディアという媒体が人の人生を暴力的に切り取ってしまう場合があるからだ。

夕張での作品はダイジェスト版を除いてインターネット上で一切公開していない。
というのも、この作品は28校分揃った状態で展示されるのが完成となるからだ。
それは街という地域の記憶の集合体を1つ2つ見たところで何も見えないということと、2、3見たところで全体を知っている気になられても困るのだ。
幸運にも私は一人一人が記憶した当時の様子を記録させてもらっている。
常に私はインタビューに参加してくれた人々から記憶を“お借りしている“と思っている。
そのお借りしている記憶と丁寧に向き合うのが私の仕事なのだ。

(文・写真/菊池史子)