菊池史子滞在制作日誌|追記。

夕張を離れ上川盆地に来た。広い大地に田んぼが広がり遠くの方に見える山が人々の暮らしを囲んでいる。時折この日誌で主語を「私たち」と書いているのはこのプロジェクトが私一人では進んでいないからだ。このプロジェクトが始まった2016年は側から見えれば怪しいプロジェクトだったかもしれない。「東神楽町出身でドイツ在住のアーティスト」だけを聞いても「お前誰?」といった具合だし、「小学校の校歌を覚えていますか?」と言うのだからなおさらだ。

そんな怪しい私を全面的にサポートしてくれているのが佐藤真奈美代表が運営している一般社団法人清水沢プロジェクト。知らない人が見たら怪しい奴らの二人三脚に見えていたかもしれない。そんな「私たち」が北に行けば北に、南に行けば南に心強い味方ができてゆく。5回目を迎えた今回の滞在では二人三十脚くらいになっていたと思う。これは例えてみれば大勢で沢辺をダウジングしている感じ。もしくは集会所に集めたネズミ講か。いやいや、ただでさえ怪しいのにもっと胡散臭くなる。ならば単独で動くスパイはどうか。いや、これは何の話だ。

 

ともかく、真奈美さんの全面的サポートなしでは一歩も進むことができなかった「忘れない歌」は、途中夕張岳の山頂を目指して鹿島方面の旧道から夜中の10時に出発して藪と森を懐中電灯一本で切り抜けるような時期もあった。数キロおきに木陰に潜んだスパイが提供してくれる情報をもとに進んで行く。数十メートルおきに腰掛けを用意してくれるスパイの元で休憩しながらもリュックサックに入ったおにぎりを山頂で朝焼けを見ながら食べたらどんな気分であろうかと想像すると私たちの胸はいつもいっぱいなのだった。(ですよね、代表。)

行く道が坂道だろうが下り坂だろうが関係ない。下心がヤッケのポッケからゴロゴロと音を立ててこぼれ落ちる。これを追いかけるように私たちは加速する。途中で膝から崩れ落ちるのは自分たちのやってることが面白すぎるからだ。行った先々で光る石を回収しては私たちは先へ進む。リュックの中はおにぎりなのか石なのかもう区別がつかない。こんなに重くなるならば、おにぎりを置いておけばよかった。

7年経って折り返し地点に立った時、実はとても寂しくなった。「登山は下りの方がしんどいんだ。」とスパイの忠告が聞こえる。いや、待てよ。ここはまだ山の中腹じゃないか。これからまだ撮影したインタビューの編集があるし、奥鹿島分校については紙芝居仕立てになる予定だ。展示に使う機材はどうする。助成金の申請はいつだ。現実がボタボタと落ちてくる。「代表は共催のヒュッテに入って待っててください!あとは私に任せて!」とか言ってみたいもんだ。山頂までまだある。力は進むたびに湧いてくる。途中で仲間がどんどん増える。私たちが山頂についたとき、きっと思うんだろうな。石じゃなくておにぎりを持ってくればよかった。いや、何だこの話は。

2023年6月17日夜中の1時、東神楽町の実家で
立派な角を持った雄鹿が宮コ23の裏で草を食べる音とその静けさを思い出しながら

(文・写真/菊池史子)