山岸耕輔活動日誌|11〜12日目

滞在11日目

パフォーマンスから一夜が明けました。
パフォーマンスも撮影も上手くいった代償に身体の節々が痛みます。

昼過ぎになって、京都から松見くんが清水沢にやってきました。
松見君は龍谷大学の学生で「炭鉱が地域住民の意思決定にどのように作用するか」といった研究をしているらしく、宮前浴場が閉鎖すると聞いて急遽こちらに来たそうです。
車がないということだったので一緒に清陵浴場へ行くことに。
私は先にあがってしまったのですが、松見君は浴場に来ていた元炭鉱マンの人に話かけ、のぼせるギリギリまで会話をしていました。
夜に阿吽という居酒屋へ行き、松見君の歓迎会を開きました。

市民課から浴場の営業についての連絡がきました。金曜日までは通常営業で、土曜日から臨時休業になるとのこと。
つまり、浴場での成果発表を断念せざるを得なくなりました。
消防の調査では問題ないという報告だったそうですが、市役所が煙突の倒壊の危険性を理由に休業という判断を取りました。
8月までの営業のはずが、今後の見通しすらも立てられない状況となってしまいました。

滞在12日目

そば天国で山わさびそばを注文し、盛大にむせました。

浴場で展示することができなくなってしまったので別の候補地であった宮前集会所を改めて視察することに。
宮前集会所は町内会が管理している施設で、様々な催しの場として使われています。
玄関から奥へ進むとカーペットがしかれた広い部屋があり、右手にはトイレとキッチン。
反対側には蛇腹のカーテンで仕切られた部屋など、滞在制作の発表場所としては十分すぎる広さがありました。
設置方法などを考えているときに蛇腹の部屋で古いモニターを見つけました。
聞くところによると菊地さんが以前使用していたものらしく、展示にも使用しても良いとのことでした。

浴場での展示は叶いませんでしたが、営業最終日である14日(金)に成果展の一部を展示する案がでました。
それに合わせて、浴場の掲示板の補修をしたいという希望を伝えました。
浴場の入り口にある掲示板の劣化が進んでおり、ビラを掲示するにも表面の材が固くて苦労するという話を志津子さんから聞きました。
アーティストとしてこの土地にくることが決まってから考えていたこととして、いわゆる作品と呼ばれるような作家の個性を押し出したモノを制作・展示することだけがアーティストの役割ではないという思いと、ものづくりを通した関わりが、地域の中でレジデンスの後も活きていくようなことをしたいという気持ち。そして、浴場の看板を作り直すことが、その思いをかたちにできる方法ではないかと考えました。
なるべく現状の形や雰囲気が残るよう心がけ、フレームはそのままで表面は新しい材に張り替えることに。
表面の材は耐久性と柔らかさを考慮してシナベニヤを選び、フレームの色は元に近い色として若草色にしました。
室内で塗装する環境がなかったので、雪の上に養生シートを広げて、塗装作業をするという初めての経験をしました。

(文・写真/山岸耕輔)