山岸耕輔活動日誌|0〜1日目

清水沢コミュニティゲート AIR公募プログラム助成者として3月1日から16日までの期間、夕張で滞在制作をしました。その期間中に起きた出来事を、大小問わず思い出せる限り書き記して行きます。

滞在0日目

助成者として決定してから夕張に行くまでの期間も待ち遠しく、まずは自分の住んでいる秋田でできることを探しました。
まずはやはり炭鉱についての歴史を学びたいと思い、いくつかの書籍を読んだり、メルカリで夕張の石炭を買ってみたり、福島にあった常磐炭田の資料館を訪れたりなどしました。
調べを進めていくうちに、石炭の元になった植物の一つであるメタセコイアが秋田にも生えているということが分かり、さっそく秋田のメタセコイアがある場所まで向かって落枝を入手することができました。
この枝を使って何かできないかを考えたときに、石炭にするには時間がかかりすぎるが木炭になら何とかできるのではと思い、冬の浜辺で焚き火を起こして枝を炭化させ、メタセコイアの木炭を作成しました。
木炭はデッサンにも使用されるポピュラーな描画材です。作成した木炭で夕張の石炭を描いてみることに。
石炭を持ってみると、想像よりも軽く、他の石よりも暖かみを感じました。
無煙炭と呼ばれる炭化度が高いもので、光沢感が強いことと黒が深く美しいことから「黒いダイヤ」とも呼ばれています。
この目や手から伝わってくる情報を、大判の和紙に素直に写しとるよう心がけて描写しました。

こうして、私のレジデンスは石炭に滞在するところから始まりました。

滞在1日目

朝6時から出港するフェリーに、滞在中に使用する機材や工具、生活用品などを詰め込んだ車で乗り込みました。
秋田港から苫小牧東港まで10時間以上かけて移動し、夕張に到着した頃にはすっかり暗くなっていました。

清水沢コミュニティゲートで迎えてくださったのは清水沢プロジェクトの代表理事である佐藤真奈美さん(以下、真奈美さん)。
炭鉱住宅として建てられたレジデンス施設について紹介をしていただきました。
内装は想像していたよりも綺麗で、炭鉱の時代がより近くに感じられました。
鉱員住宅のため浴室がなく、近くの宮前町浴場(以下、宮前浴場)に入りに行く必要があります。
しかし、2019年以降は営業日が縮小して月水金に限られ、他の日は別の離れた銭湯に行くほかありません。

滞在中の諸注意を受けた後、歓迎会を開いていただきました。
会には清水沢プロジェクト理事の須藤伸也さん(以下、しんちゃんさん)と小百合さん(以下、小百合さん)、シルクスクリーンでTシャツなどを制作・販売しているもっちさん、市の職員で学芸員の山口さんと子ども・子育て支援をされている八幡さんが来てくださいました。
料理は小百合さんの手作りの品や夕張名物の「シナモンドーナツ」などを振る舞っていただきました。
自己紹介が済んだのち、しんちゃんさんから北海道の方言について色々と教えていただきました。
その中でも印象的だったのが「〜さる」という方言でした。
意味は「〜してしまった」に近いですが、ニュアンスが少し違うようです。
例えば、押すつもりのないボタンを押した(してしまった)ときは「ボタンを押ささる」といいます。
この場合、自分で押したにも関わらず、自分の意思とは関係なく押されてしまったように、責任の所在を曖昧にする働きがあります。
私はこの方言を聞いたときに、能動的に身体が働いて押したはずが、ボタン(モノ)に触れたときに、むしろボタン側から押されにいったような表現となり、「するされる」の関係が移り変わっていることに面白さを感じました。

歓迎会を終え、解散したのちに少し清水沢の夜の町を散策することにしました。
3月に入ったとはいえ気温はまだまだ寒く、凍結した道の上をおそるおそる歩きました。

(文・写真/山岸耕輔)