菊池史子滞在制作日誌|6月10日(土)

時にというか割と頻繁に私たちの卒業生探しは困難を極める。

昭和50年に開校した「旭小学校」は8年しか存在しなかった。
丁未地区にあった1鉱が閉山し、福住・高松地区の2鉱も縮小した。
それに伴い清陵地区(新炭鉱)へ人口が流れたのだった。

ここまで聞いて市内に沢山の卒業生が在住しているなんて期待はできない。
しかし私たちは1人の卒業生と3年前から連絡をとっていたのだった。
撮影に応じてくれた堀内さんは5年生の時に第ニ小学校が閉校になり、旭小学校で卒業した第1期生である。
統廃合を繰り返した昭和50年代の街の様子を聞くと、やはり人の動きが大きく変化したことがわかる。

真谷地一区出身の佐藤マスターが“黒ダイヤ”が歌詞に入る真谷地小の校歌を歌ってくれた。
「畑の上の方にね、いい眺めがあるところがあったのさ。」
この“いい眺め”というのは男のロマンが詰まる浴場の近くのことで、日本三景のような“絶景“ではない。
佐藤さんの面白おかしい話に私たちはお腹を抱えて笑った。
私は笑いながらも、こうして夕張で人々の子供時代の話を聞く機会がこれで最後だと思うと、この時間を愛おしく思った。

(文・写真/菊池史子)

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旭小学校は、最後の卒業生を送り出した古城先生にもお話を伺っています。
その時の日誌「旭小学校(パート1)」はこちら。